帰宅して
昨日の夜、奈良から12時間下道を走って東京の家に帰宅した。
久しぶりの家は、めちゃめちゃ広い。
どこでも寝れるし電気も明るい。キッチンもある!
水道は未払いで止まってるけど、とりあえず酒もテレビもある。
とりあえずリラックス!と思って飲み始めた。
もう30だし、ちょっとカッコつけて自問自答しちゃってもいいな〜とか思っちゃって、旅の振り返りをしていた。
ちょっと酔いが回ってタバコを吸い始めた。
旅は旅として思い出にしまって、前の生活に戻ろうとしている自分に気がついた。
俺は、人生で初めて自分を怒ったと思う。
そんなんじゃ変わらないんだよ
あんな凄い旅をしてきたんだよ
いろんな出会いがあって、人生がまるきり変わって救われたんだよ
それなのにバカに戻ってどうすんだよ
冗談じゃねーよ、勘弁してくれよ
本当に本当に凄い旅をしてきたんだよ
旅を始める前は毎日家で酔って泣いていたばかりだったけど
今は喜びで嬉し涙すら流してる。
本当に人生が変わる数日間だった。
バカに戻りそうなときは、いつでもこの数日間の旅の思い出が俺を励ましてくれると思う。
それくらい、幸せな旅だった。
いまも思い出しては感動して泣いている。
29歳11ヶ月、この間5年付き合った婚約者と破談になった男が旅をした結果④
長崎、伊王島で見知らぬ家に泊めていただき、愛を沢山受け取った。
突然のイベントに困惑したけど、大きな幸せと勢いを胸につめこんだような心持ちだった。
12月3日の朝、そうして俺は長崎から佐賀を抜けて阿蘇の山をみて、雄大さに感激しながら鹿児島へ向かった。
途中、聖地巡礼も果たした。これはインターネットの一部の人しか分からないところだとおもうけど、みんな行きたいところだとも思う。
こんなアホさもよいスパイスだった。
12月4日、熊本の水俣を抜け、鹿児島の道の駅で目覚めた俺は一直線にに知覧へ向かった。
あと数時間で12月5日の誕生日になってしまうので、今日中には大分の別府で温泉に入って日本全国到覇だぜ!と息巻いていたからだ。
知覧では、年端も行かぬ子どもたちの決死の覚悟と母への手紙をみて号泣してしまった。
祖父の兄弟が2人、特攻隊だったから、無関係な話とは思えなかった。
宮崎へ抜け、いつもどおり高速道路を使わず峠道や下道で地鶏を食べたりして進んでいった。
生の鶏肉、うまい。
12月4日の23時45分、ギリギリに大分の温泉施設に到着。
深夜までやってるスパ銭みたいな温泉施設で、ほとんど貸し切り状態だった。
20代の振り返りをして、今回の旅は結局広島のコンカフェ嬢と出会えてなかったらこんなに様々な出会いは起きていなかったと思った。
29歳の最後の半年、地獄のような時間だったけど最高の旅で俺の人生は一変したとすら思ってた。
12月5日 30になった俺はあいかわらず道の駅で車中泊をして夜を明かした。
ただの乗用車のシートを倒しただけ、目隠しやシェードなども一つもなく、本当にちょっと横になるだけど車中泊でこんなところまでこれるとは思わなかった。
その頃には気温もだいぶ下がっていて、練れても5時間程度、あとは寒くて起きてしまうので行動をするようになっていた。
誕生日の朝、別府の鉱泥温泉という珍しい温泉に入ることにした。
オープンまで少しだけ待って、無事入浴すると神戸からきたというお兄さんと意気投合してなんとハッピーバースデーまで歌ってくれた。
こんなに幸せなことはないと思った。
別府といえば地獄めぐりだろ、と温泉ツウの友だちに言われて地獄めぐりをした。
少し寒かったけど、久しぶりにゆっくり観光できて、日本全国行ったことない都道府県はなくなったぜ!わっはっは!とか思ってた。
夢幻の里という秘湯温泉にも入った。
完全に貸切状態で最高の誕生日だった。
羽生結弦も入ったらしい、ゆづくん汁ですね。
温泉からあがって、さてどうしようかと情報収集を始めた。
とりあえず福岡に戻ろう、と由布岳を抜けていくが、やはり睡眠不足で途中で3時間ほど仮眠をした。
目が覚めて時刻は18時半、寝ぼけてInstagramを眺めていると広島のコンカフェのシフトが投稿されていて、この間行ったときの2人が出勤だった。
誕生日だし、これもめぐり合わせだと強く思った。
あの場所に行ってなかったらこんなに大冒険できていなかったから、どうしてもお礼を言いたかった。
お礼は言いたいけど、大分から広島は流石に遠すぎる。いけたら行こうと思ってたら悠長に大分から福岡まで山を超える。
福岡についたのは21時半。どうせなら路上ミュージシャンにもお礼が言いたくていた場所に行ってみたけど、いなかった。
またいつかどこかで会えたらいいな。
もういっそ広島へ帰ろう!と決め、普段は乗らない高速道路を時速140キロのスピードで北上していく。(山口は帰路もスルー!今回はご縁がなかったということで)
東北では見かけない荷台連結の25mトラックや、みかけぬ地名に旅を感じながら、眠い目をこすりながら広島へ猪突猛進していた。
ただお礼が言いたいだけだった。
ようやくついた。時間は12月5日の26時半
ちょうど日本対クロアチアのPKが始まったあたりの時間だった。
日本一周して帰ってきたよ〜とだけ軽く話して、皆に倣ってサッカーを眺めていた。
コンカフェは朝4時まであいており、完全にスポーツバーの様相だった。
おいおいこりゃアウェーだぜなんて思いながらPKを見ていたが、敗北する日本にお店は意気消沈。
少しづつ他のお客たちは帰宅していき、いつの間にか一人になっていた。
誕生日でめぐり合わせだと思ったから大分からぶっ飛ばしてきたこと、この店が起点になって様々な出会いがあったことを伝えて、お土産のとおりもんを渡した。急だったからこれしかなかった。
キャストもいつの間にかいなくなり、俺とあの子二人で話し込んでいた。
じっと目を見つめて話をしてくる子で、感性やスタンスがなにかこう、自分と似たものを強く感じる人だった。
旅をするきっかけのことや、旅の最中のこと、その子の話を少しだけ話してくれて、俺は生まれてはじめてその子の性格や人柄、魂の部分に強く人に惹かれていた。
しばらくすると他のキャストが帰ってきた。
近くの姉妹店にいってたのかな〜なんて思ってたら、コンビニでケーキを買ってきてくれてあた。
みんなで歌って祝ってくれた。
これで3万とかとられても文句は言えないとも思ったし、こんなことされるために帰って来たんじゃないのに!とか色々考えちゃった。
嬉しかった。去年は婚約者は何もしてくれなくて、一人で仕事終わりに業務スーパーでケーキの材料を適当に揃えて不器用なホールケーキを自分で作っただけだった。
猫には猫用ケーキ買ってくるくせに!
この喜びは伝えきれない。本当に本当に嬉しかった。
俺は、俺自身がコンカフェという女の子のお店にハマっているのか、それともその子に惚れ込んだのかがわからない。
多分、恋破れたおっさんがコンカフェにハマった、それだけのことにも見える。
でも間違いなくその子のおかげで一生忘れられない旅になった。
名残惜しくも、4時になり、退店、急かされる前に自分からすぐに店を出ていった。
あのままダラダラいることもできたと思う、完全に友達のノリで話していたし、たぶん。
翌日12月6日、あの子が言った「神様連れて帰ってきた?」の言葉が妙に気になって、出雲大社に行くことにした。
実のところ、完全に島根・鳥取を取り逃していた。
愛国心がつよいわけじゃないが、神話は興味がある。
ましてやこんな運命的な旅をしちゃったもんだから、なおさら行くべきだと思った。
オオクニヌシノオオカミは、海に沈む太陽を見て神託を受けたんだと思った。
そういう銅像があったし。
神話と現実は延長線上にあるんだと、強く思ったし、俺もそんな経験をしてみたいと思った。
十分凄い旅立ったけど、神秘的とはまた違った経験だったから。
20代の頃、付き合っていた女の子と現実社会が嫌になったときは鳥取砂丘に行こう!と話のネタにしていたけど、結局一度も行くことはなかった。
あのとき鳥取砂丘に行こうね、と話した女の子達はみんな今では結婚して、子供までいる。
30歳になって、ようやくこれて、いつもだったらめんどくさがってあるき回らないけど、やっと来たんだから!夢が一個かなったんだぞ!と自分に言い聞かせて、鳥取砂丘の一番高い丘にむかってあるき始めた。
この数年で運動不足になった俺ははあはあしながら急斜面を降り、崩れる山を登っていく。
遠くに人がいて、どうやらもっと観光向けの入り口があったことに気づく。
海岸線を見るために砂丘を抜けていき、ようやく見えた頃には小さな雹が降ってきていて、遠くの海にはその親玉みたいな雲が海へと雹をぶちまけている姿が見えた。
北には怪しく青い雲と空、南の出雲方面には夕陽が沈んでいっていた。
なんだかその景色が美しくて、出雲のオオクニヌシノオオカミの話を重ねて神話の世界に入った気分だった。
雹が少しづつ強くなり始め、ようやく一番高い丘に着いた。
どうせならあの雲をすこし避けてくれないかと少し文句を言ってみた。
なんだかあの海に降り注ぐ雲の影が、出雲から旅立つ神のような姿に見えたから、冗談めいて、ちょっと神様に近づいた気分だった。
出雲へと沈む夕陽も雲から顔を出して、雹もすこし弱くなってくれて、なんだかこの旅のゴールで、これからの人生のスタートのような、そんな景色だと思った。
太陽が顔を出したからオオクニヌシの真似して直視してたら目が少し眩んだ。
いい景色を見れてよかった、と振り返ると、嘘みたいな大きな虹が二重に架かっていた。
降り注ぐ雹の影がまるでオーロラみたいで、夕陽が照らす夢の鳥取砂丘。
俺はこれが現実には思えなくて、一人でボロボロ泣いてしまった。
やっとゴールして、やっとスタートした。
ぜひその景色も見てほしい。
本当に凄い旅をしてきた。
出雲大社、鳥取砂丘に行くことだって、あの子に会いに行かなかったらまた今度にしていたと思う。
俺にとってあの子は人生の重要な人間の一人で、尊敬や憧れすらある。
なにか心が通じ合ったような、話しているとかけたパーツを見つけたような感覚に陥る。
何度も言うけど、俺は恋破れてコンカフェにハマるおっさんとほぼ同一だと思う。
でも、全く違う。
なにかのこの度の運命の糸を手繰り寄せていたら、そこにいた人だった。
俺にとっては本当に神様のような人で、あの子が12月5日の深夜に少しだけ言った弱音は、人生をかけてでも解決してやりたいと思う。
恋愛とかそういう話ではなくて、人間として、自然に感謝するのと同じ価値がある。
あるいはシンプルにタイプの女の子に鼻の下を伸ばしているだけかも。
また会いに行きます。
29歳11ヶ月、この間5年付き合った婚約者と破談になった男が旅をした結果③
高知ではその後高知城の天守閣まで登ったり、市場を巡って芋天くったり本当に初めて来る場所の初めて触れる文化に感動していた。
本州とは違うところだ!本当に今俺は遠くにいるんだ!
さんざん歩き回ったあと、コインパーキングでぜんぜん違うところの番号の精算をちょっとたけぇなぁとか思いながら払っちゃって、本来の3倍の料金が出費になってしまった。
本当にこの男は気が緩み過ぎである。
その日は土佐佐賀の道の駅で寝起き。
うんめえお刺身を売店で買って完全に満喫していた。
土佐清水はジョン万次郎の家に行ったり、巨岩群を見たり、見たことない景色に興味津々だった。
翌日は香川で寝泊まりし、うどんくったり、愛媛のみかん買ったり、しまなみ海道ぬけちゃって、11月29日には広島の友達に会いに行った。
なんどもなんども胡散臭いが、この日、俺のこの最悪の1年がこの数日で一変した。
地元の同級生と広島で食事することになった。
俺は車だから酒をのまずに、彼はお好み焼きをつまみにビールを飲んでいた。
食事もそこそこに、風俗にいくかガールズバーに行くかなんて話になった。
からあまりそういうところには行かないんだけど、この旅はルール無用なんだってことを思い出して、風俗に行こう!となって街を練り歩いてたんだけど、やっぱふたりともちょっとアホだから、歩いてるうちに友達も酒が抜けてしまい。
やっぱり酒が飲みたいというので流行りのコンカフェに入ってみることにした。
コンカフェって凄いね!ガールズバーともちょっと違う、なんか不思議だった。店によるのかな?
ふーんふーんって思いながら実際はちょっと楽しくて話し込んじゃってた。
婚約破談になって日本一周してんだ〜って話を始めると、カウンターの奥にいた妙に生意気そうな女の子がまさにメスガキ顔でニヤニヤこちらを見ていた。
なんだかちょっとその子が気になってしまって、いろんなジャンルの会話で興味をひこうとすると、タイに行くという話で会話に入ってきた。
なんだかその子のタイに行きたい理由やプライベートの趣味の話までしてしまって、俺だけかもしれないが本当に意気投合したと思ったんだ。
めちゃめちゃディープな話だったし、、多分そう思う。嘘でもそれはそれで良い。
広島でこんな良い目にあってしまったもんだから、浮世の文化に目が行ってしまったので、
翌日には原爆ドームを見たあとにまっすぐ福岡に向かって博多中洲を見学に行った。(山口は道の駅で終わり、なにもなさすぎる!あっても山奥!帰路で寄ります!)
中洲は凄い!広島も結構都会でびっくりしたけど、博多もすごい都会だね!
立川くらいかと思ってたけど、めちゃめちゃ都会じゃん!知らなかったよ。なめてました。ごめんなさい。
いっちょスケベな店に入ってみっか〜〜と思ったけど、勇気がなくて入れなかったのでひたすらあの辺りを散歩してた。
出会橋?クリスマスイルミネーションが光る中、妙にしゃがれた良い歌声のエレカシが聞こえてきた。
路上ミュージシャンをしているおじさんだった。
ちょっとチューニングがずれてるんだけど、とにかくいい歌声ですごく沁みた。
次の日朝から一人でマリンワールドに行ったり、島の方へいってサザエ丼を食べて、あ〜想像通り!ってなったりした。
夕方に懐かしい知り合いの作家さんとお茶をしてお土産を渡し、長崎・佐賀へ向かって走り始めた。
12月1日、伊万里の道の駅で一夜を過ごしたがこの夜は特に寒かった。
ウインドブレーカーを足に巻きつけ、その足をリュックに突っ込み、パーカーを着てブランケットを体に巻き付けた後、その上にウインドブレーカーと厚手のコートをかけてもまだ寒いくらいで、車中泊のしんどさを再確認した。
佐賀め!寒すぎる!二度とくるか!とかマジで思った。
でも長崎いくと絶対佐賀通るよね。佐賀、俺結構好きな街になりました。
長崎では九十九島の高台へ行った後、佐世保バーガーの回転をまってかじりながら車でプラプラしてると、案内板まかせで国道沿いを走っていく。
女神大橋との案内があったので、どのくらい女神なのかが気になって見に行ったがそんなに女神じゃなかったな。なんとなく気分が乗らなくて渡らなかったし。
女神大橋を抜けてしばらく走ると、伊王島という島へと渡る大きな橋が見えてくる。
こっちは見るか!と進んでいくと、どうやらリゾート会社が再開発を大規模に行っているみたいで
施設内なのか公共の島なのか、そんな境目がちょっとわからなくなるような島だった。
岬の灯台を目指し、峠道を超えていく。
やっと峠を超えると少しひらけて小綺麗に整備された駐車場。
軍艦島がちょっと見える展望台、無料の双眼鏡も設置してある。
灯台の麓にはかつての灯台守の暮らしていた家や資料が展示されている施設がある。
ひとしきり見てまわって、日時は12月2日16時30分を少し過ぎていた。
なんだか広島でみた路上ミュージシャンが羨ましくて、でもちょっと恥ずかしいから
入れ替わり立ち替わりでくる観光客を気にしつつ、夕陽を眺めてギターを弾き始めた。
こんな場所
昔から曲を作るときは自宅の部屋の中で、元婚約者と一緒に暮らし始めてからはめっきり音楽活動ができなくなっていた。
この日は、なんだか憧れと感動とカッコつけがあいまって少し大胆になっていた。
大体2時間くらい滞在していたのだけれど、それだけ一つの場所にいるとなんだか色々見えてきた。
家族連れをガイドする爺さんが、毎回執拗に軍艦島を見せていること。
子供がみたいものをみせてやればいいのに!とすら思うくらい見せたがってて、なんだかちょっとおもしろかった。
地元住民も犬を連れて散歩に来たりなんかしてて、やっぱり目立つもんだから話しかけられて談笑したりもする。
優しい空気の流れる時間だった。
その日の日没予定時刻はたしか17時20分くらい。
それまでひっきりなしに色んな人が来たけれど、曇りだからか長居することはなかった。
17時10分頃、先程軍艦島を覗かされていた坊主頭の子供が、一人で戻ってきた。
彼は夕焼けに照らされる雲を眺めていて、なんだか同じ感性を持っている気がしちゃって、彼の背中を眺めながらギターを弾いていた。
いつもどおりの手癖はやめて、彼の冒険を盛り上げるような優しいけどワクワクするコード進行でのアルペジオ。
我ながらいい曲かけてるじゃ〜んなんて思ってた。
子供はひとしきり双眼鏡を覗いた後、ふとこちらを振り返って周りを見渡した。
家族でも探しているのかな?と思ったら男の子がこちらに向かって「ギターうまい」とひとことだけ伝えてくれた。
なんだか妙に嬉しくなっちゃって、ウキウキしながら日没後の岬を背にして駐車場に向かって歩いていった。
博多の路上ミュージシャンに会えてよかった。
彼のおかげで少し勇気が出てこんな幸せな出来事があった。
ともかく、ニコニコ顔で車にギターを積んでいると突然犬を連れたじいさんに声をかけられる。
さっき展望台で話しかけられた地元民が連れている、少し盛った老犬を連れている知らない人だった。
君、車中泊してるんだろ。よかったら泊まっていってよ。なんて言われて面食らった。
こんなテレビみたいなことあるのか?びっくりしちゃって大声でいいんですかあ!?なんて叫んでしまった。
この道下ってちょっといったら家があるから、そこまで来て。とだけ言って犬とともに去っていく爺さん。
RPGのNPCじゃないんだからもうすこしゆっくり案内してくれよ、もしかしてこれもアトラクション?再開発しすぎだろ!なんて思いながら車で岬を後にした。
彼の家は徒歩でも数分峠を降りた場所にあり、夫婦で食事とお酒を振る舞ってくれて、なんとご近所の老夫婦まで呼んじゃって、大宴会だった。
久しぶりに布団に横になると、犬が人懐っこく一緒に隣で寝始めた。
この柴犬、警戒心ゼロにも程がある。
博多で路上ミュージシャンに出会ってなかったら、こんなことにはなってなかった。
本当にありがとう。
翌朝、止めてくれた爺さんから地図持ってるか?と聞かれて、もちろん持っていないと答えると九州全域の高速道路と観光スポットが書いてある地図をくれた。
ポケモンみたいで、ちょっとおもしろかった。
いつの間にか決まっていた旅のルーティンを広島で崩していなかったら、こんな旅にはなってなかった。
その日から俺はルールを崩して、いつ寝てもどう動いてもいいことを思い出して、ろくに寝ないで九州を一気に走り抜けることになった。
29歳11ヶ月、この間5年付き合った婚約者と破談になった男が旅をした結果②
無鉄砲なロードトリップも誕生日まで残り12日。
11月23日の深夜25時に徳島の友人宅に到着した。
突然の連絡にも関わらず快く迎え入れてくれて、結局俺は徳島に3泊もしてしまった。
甘えさせてくれてありがとう。
彼とともに巡る徳島は、俺が育ってきた景色にはない地形、勾配、文化、人の時間のながれがあった。
特に彼が紹介してくれた徳島に移住してきた中卒を自称する25歳の、なんだか知性があり、かつ粗暴な感じの喋り方の青年との出会いはすごかった。
アーティストのパートナーと徳島の古民家を独創的に改装し、まるで天国みたいだった。
徳島の食材で鍋を振る舞ってくれ、酒抜きで人と話してみんなで食べるご飯はこんなに美味いのか!犬もなんだか昔飼っていた犬に似ていて、聞いたら名前が一緒だったんだ。
びっくりしたよ、お前ここに生まれ変わってたんか、ってちょっと泣いた。
この日が、この旅の本当の始まりだったように思う。
この日までの俺は、ちょっと車で観光地をめぐってヘラヘラ動画とってバズりて〜なんて考えてるだけだった自分が急に恥ずかしくなっちゃってさ。
「俺、カメックスに進化した気分のカメールだったわwww」なんて言っちゃってたよ。
マジゼニガメだなコイツ。
徳島を出てからはまずは高知へ渓谷を抜けていく。
東北と違ってこっちの山は小さくて傾斜が凄いから、まるで別世界にきたようだぜ〜!サンキュー徳島〜!なんて叫びながら奥田民生を爆音でカラオケしながらひたすら峠道を走っていった。
高知県の道の駅やすなんて看板があったから、おいおいずんのやすじゃねぇんだからよ〜〜!とか言いながらその日はそこで寝床に決めて、Googleマップにガイドしてもらって行くと、そこは夜須という土地のビーチだった。
11月24日の高知の夜は、雲ひとつないとは言えないけれど、星を見るには十分の空だった。
この頃にはだいたい20時か21時には道の駅について、酒を飲んだり、フラフラ散歩して、23時には寝ている。そんなルーティンのたびが板についてきていた。
ましてや友達宅に泊まったあとにすぐこんな動きをしてるもんだから、そりゃもう慣れたもんだぜ!なんて気分だったよ。
7時半に目が覚めて、トイレまで散歩したあとGoogleマップで美術館を検索した。
すっと出てきた地図の中に、南国市という地名を発見。
夜中に看板だけみて通り過ぎたから、ほんとに南国かな〜〜?とかいって笑ってたのでそちら方面の白木谷国際現代美術館にいくことに決めた。
開館が10時だったので、もう一眠りしたあとに朝飯を地元のカフェで済ませて、近くの古墳を見に行ったあと、それから美術館にむかった。
すっかり文化人気分だった。
白木谷国際現代美術館は、衝撃の場所だった。
芸術家本人が本人の作品や彼を取り巻く作家、コレクションを展示していたが、特に印象的だったのは前半のインスタレーションのような空間づくりだった。
まぁ、そういうテーマの作品だったのもあってまるでもう一度生まれたような気分になっちゃって、そのときに一番強く旅が本当に始まったのを自覚した。
あと、この時に今回の旅の各所で見て来た原子力災害伝承館や秋田の老ジャズ喫茶を見てきて、我々人間の命に限りがあることを強く意識した。
あの日がちょうどアクセル踏み初めて時速10キロくらいの旅レベルだった。
実際、これがあと9日で来る誕生日までに時速140キロに加速していく。
いやホント、ぶっ飛ばしたよ。
29歳11ヶ月、この間5年付き合った婚約者と破談になった男が旅をした結果①
はじめまして。
僕の名前は光一といいます。
24まで音楽頑張っていたけど、結婚するために月80時間の残業をしながら働いていました。
大した時間じゃないけどね。
5年付き合っていたYさん。経験が豊富で、年上のおねえさんだった。
彼女がセカンドキャリアを歩み始めようとするときに付き合い始め、なんだか大学生の恋愛みたいな、不思議な恋でした。
かんたんに言ってしまえば価値観の違い。
ざんこくに言うなら彼女の浮気でした。
散々もめて、修復不可能になって、警察沙汰になって、それっきり会っていません。
彼女が家からいなくなって2日後にコロナ陽性、ぶっ倒れている中2人で飼っていた4匹の猫たちが知らぬ間に連れて行かれてしまい、仕事にも追われ、とうとう鬱病になっちゃいました。
この間車も壊れて洗濯機も壊れるという最悪のおもしろエピソードもある。
仕事も休職して、2ヶ月くらいひきこもって毎日酒とuber eatsとNetflix
元婚約者のアカウントでアマゾンプライム、あとゲームと出会い系の女の子との電話だけ。
流石に家族も心配したのか、仙台に呼び出される。
正直体が最高に重かったけど、風呂にも入らず新幹線で突撃した。死ぬかと思った。中央線の女どもがこっちを見てくるんだよ。こえーこえー
親父から車を借り、家族と過ごし、てきとーに話してた出会い系の女の子が仙台にいて近所だったから星でも見に行かんかと誘ったら即諾されたけどそれきり返事が来ない。
なんだかちょっと楽観的になっちゃって、勢いで東北一周を決意したんだ。躁ってやつ?
そりゃもうすごかったよ、十和田湖を下道でずーーーっと行ったんだ。
弘前の音が半端じゃない良さのジャズバーとか、白神山地とか、男鹿半島とか!
それでなんだか乗ってきちゃってさ
12月5日の誕生日までに日本全国行ったことない県をなくそう!と思ったんだ。
最初はスタンプラリー感覚で、写真撮ってインスタグラムに上げたり、動画撮ってtiktokにあげてみて2人にフォローされたり、ちょっとなんだろう、バカ丸出しの能天気な旅立ったんだよ。
俺は前の婚約者と関西、北陸、関東、北海道と沖縄は制覇してたから、実質中国四国九州でクリアじゃん!とか思って全日車中泊だ!とかいって親父から借りたベンツのBクラスで走り出したんだ。
山梨から石川にぬけて、滋賀方面から兵庫経由で徳島に向かうルートだった。
決めていたのはこれだけで、どこに何があるかとか、どんな観光地があるかなんて下調べも一切せずに、勢いだけはあるロードトリップ。
クッションとブランケット、あと服とギターなんて積んじゃって、超旅人気分だった。ナイス俺。ちょっとカッコつけ過ぎだけど、良い判断だったよ。
東京の自宅を出たのは11月17日。
免許の更新とか済ませちゃって、野暮用済ませてたら誕生日まで残り19日!
今計算したら、全行程で1日あたり600キロくらい移動してた。
ここから非常に長くなるので、一度区切ります。
もし興味があったら読んでほしい。
特に悩んでたり人生地獄だなとか思っている人には特に読んでほしい。
俺はこの旅で間違いなく救われたし、運命的とすら思った。
めちゃめちゃ胡散臭い言い方だけど、別にカッコつけた文章書いてもいいじゃん。むしろみんなもっとカッコつけたほうがいいよ、とか思うまでになったよ。
本当にみんなに読んでほしいから大嫌いだったウケそうなタイトルにだってする。
別に目的は誰かがこの感動を理解してくれたらそれがいいし、誰も読まなくたっていい。
最後、笑っちゃうほど凄い景色を見て来たから、それだけ見てくれても構わない。
>>2getの魅力
小学生の頃、父におにぎりワッショイやオマエモナー、八頭身などのおもしろFLASHを仕込まれていた自分は、案の定物心つく頃には巨大掲示板ニュース速報VIPに流れ着いていた。
当時からイケイケのVIPPER諸君から既に小バカにされていた古き良き2ch文化の中でも、こと2getに関しては数多のコピペや面白大喜利が生まれてきた。
2getとはそのスレタイトルと対となる大きな存在ということは周知の事実かと存じているが、近頃は2getのその価値や面白さを、みんな忘れてしまっているんじゃないか?と思う。
しょうもないスレタイに対して、いかに素早く、いかに面白く、いかに参加性が高い大喜利の答え例を書き込むか、2getとはもはや早押し大喜利の領域となるのだ。
今日、久しぶりに2getで流れを作ることができた。
これからも精進して、2getし続けていきたい。